まなとぅーんのゴミ箱

(※シ〇ティッシュ入り)

小説を読まなければならない

 

気が付いてしまった……。

 はい。題名の通り、小説を読まなければならないことに気が付いてしまいました。

 経緯を説明しますと、まず高校を卒業してからというものの自分の生活の充実していなさに呆れてしまい、何かこう、漠然とした欲求を満たしせるような趣味を始めようと思い至り、中高で文芸部で行っていた物書きを再開しようと思ったのです。ここまではよかったのですが、書いたものを発表できるのがこのブログにしか存在せず、部誌上に掲載する= PN ( ペンネーム ) を使って作者が誰かが知られていない状態のまま発表するならともかく、作者がTwitterのまなとぅーんって人だと知られている状態で発表するには、自分でも満足の行く出来でないと恥ずかしくてできないと気が付いてしまったのです。 

 そして、どうすればクオリティーを高められるのか考えたのですが、やはり自分には読書量が足りていないなという答えにたどり着きました。

 最後に読書に熱中していたのって、多分中2とかそういう次元なんですよね……。本を読まない文芸部とはこれ如何に。そもそもプロットが思い浮かばないという問題はありますが、場面転換がうまくできないだとか、台詞回しが不自然だとか、出したい雰囲気がでないだとか、そういった悩みは結局他人を真似るのが解決への一番の近道のように感じました。Outputの前にInputをしろと、高校生の時に先生に言われたので、素直にそれに従います。

という訳で……。

 しばらくは本を読もうと思います。大学生なのでお金はないのですが、Amazon Prime Readingという素晴らしいサービスのおかげで本を読むこと自体は可能なので、しばらくはそれを使って読書量を増やしていこうかと思います。目標は3,4日に一冊です。つまり1週間で2冊程度。読書のカン(?)を取り戻して来たら少しずつペースを上げていこうと思います。

と言っても、ただ読むと宣言しただけでは続かないので、読んだ本はこのブログでちゃんと感想とともに載せていこうと思います。ブログってそういうもんでしょ、たぶん。

 

※ちなみに PN ( ペンネーム )  の部分はブログの表記をいろいろと練習したくてとりあえずルビを振ってみたことの産物。決してイキリではない。

瞳を描く(小説)

前書き的な何か

 ブログを開設したのに記事を更新してないのがあれなのでとりあえず自分が昔書いた小説を載せて誤魔化します。2019年の文化祭用、僕が高2の時に書いたやつなので自分でもないよう覚えてないのであれですが、感想なりなんなりTwitterに投げてくれると嬉しいです(ほんとか?)。ちなみに三万字近くあるので一応注意です。

 締め切りに追われていたので所々雑です。というか多分全部雑です。こうやって言い訳並べてるなら載せるなって? おっしゃる通りです。

 とりあえずこれを機にちゃんとブログも更新したいなーという心持ではあります。応援ください。

 

※女性同士の恋愛の描写を含みます。注意してね

 

瞳を描く (まなとぅーん(@mana_puipui))

-1.
 轟音が身体を貫いた。どこからか、サイレンの音が聞こえてくる。
 地面が冷たい。冷たいのに、何処か熱い。変な感覚だ。
 沢山の人が私のことを見下ろしている。何かを叫んでいるが、先程の轟音で耳がやられてしまったのか、何も聞こえない。
 雨が降り始めた。体温が奪われていく。
 死ぬんだ、私──

0.
「……っ!」
 飛び起きる。悪夢を見たのか、体中が汗でびっしょりだ。
 時計を見ると、時刻は午前六時を指していた。今日は終業式だ。朝飯を抜けば時間に余裕があるし、シャワーを浴びた方がいいだろう。
 制服とタオルを持って脱衣所へと向かっている最中、寮母さんに見つかってしまった。
「上島さん、おはよう」
「おはようございます、寮母さん」
 寮母さんは制服とタオルをチラリとみて、口を開いた。
「そのタオルは──いや、そうね、さっさとシャワーを済ませてきなさい」
「はい」
 逃げるように脱衣所に向かう。扉を閉めて、服を脱ぐ。
 熱いシャワーを浴びる頃には、意味不明な夢の不快感もすっかり消え去っていた。
 身体を拭いて、制服へと着替える。部屋に戻る最中に食堂の前を通ったが、どうも朝飯を食べる気力は起きなかった。
 鞄を持って、寮を出た。

***

「おはようハルカちゃん」
「うん、おはよう」
 同級生たちの挨拶に軽く返事をしながら席へと向かう。席に着くと、隣のアユミが話しかけてきた。
「ハルカちゃんはさ、夏休み何するの?」
「私? 私は東北のおばあちゃんちに行くよ」
「おばあちゃんち? なんで──」
 アユミは急に眼を見開き、焦ったように口を押えてから言った。
「ごめんなさい、私、本当にそんな気はなくて……なにやってんだろ、最低じゃん……」
「大丈夫、気にしてないよ」
 私の両親は、数年前に交通事故で死んだ。全寮制のこの学校では、長期休暇に両親の家に帰るのが普通だった。
「お土産、買ってくるね」
 今のは私が悪い。
「うん、ありがとう……」
 まだ気にしていそうな彼女に何か声をかけようと思ったが、先生が入ってきてしまった。今日が始まる。
「号令ー」
「起立。気を付けー、礼」
「よろしくお願いします」

1.
 空が好きだ。広くて、奇麗で、色々な表情があって。私の過去をかき乱すことなく、ずっとそこにいてくれる。
 田舎に向かう電車の窓から空を見上げていた。私のほかに誰も乗客はいないから、今のところは空を独り占めだ。
「次はー円入ー円入ー」
 降りる駅が近づいているようだ。手荷物を纏めていると、電車が減速を始めた。
 荷物を持って立ち上がる。間もなく開いたドアを潜り抜けると、乾いた空気と強い日差しが容赦なく私を襲ってくる。
「お帰りなさい、ハルカちゃん」
 お祖母ちゃんがホームに立っていた。私をお迎えに来たようだ。
「ただいま、おばあちゃん」
 また、夏が始まる。

***

「ここがハルカちゃんの部屋ね。春来た時のままにしてあるから」
「うん」
「何か困ったことがあったら何でも言ってね」
「うん」
「夜ご飯が出来たら呼ぶから」
「わかった」
 おばあちゃんと話すのが苦手だった。とても優しいけれど、その裏にどうしても私に対する憐れみを感じてしまうのだ。それはこの村に住むほかの人も同じで、中には無神経に色々聞いてくる人もいる。子供ならともかく、いい歳した大人にずかずかと踏み込まれるのは、流石に耐えられない。結局、誰かと交流したりせずに大好きな絵を描いて休暇を過ごしてしまう。
 部屋へと入る。定期的に掃除はされているのか、だいぶ奇麗ではあるが殆どが春休みのときのままにされていた。
 机の上に置いてあるスケッチブックを手に取る。春の時に描いた、この村のあちこちの絵が残されていた。そうだ、確かこの時は風景画に熱中していて、春夏秋冬全部の絵を描いていこうと決めたんだっけ。
 冷静に考えたら秋休みは存在しないので、四季をコンプリートすることはできないだろう。しかし、どうせならこれの続きを描いてみてもいいかもしれない。どうせ時間は沢山あるんだし、夏の分を完成させてから次を考えよう。
「まぁ、明日からかな」
 今日は疲れた。素直に家の中で休もう。ベッドにうつぶせに寝っ転がり、春に描いた絵たちを眺める。
 川の絵、田んぼの絵、森の絵、池の絵……あ、この部屋の窓から見た景色の絵もある。
 なんとなく、その絵と現実の絵を見比べてみる。木や地面の色が全然違っていて、心なしか空が狭くなったようにみえ──
「あれ、なんか違う」
 少し見比べてすぐに分かった。家が出来ているのだ。この家から百米くらいの所に、春の絵には存在しない家が建っている。
「おばあちゃんに聞いてみよう」
 そう思った矢先、私を呼ぶ声が聞こえてきた。丁度いい、聞いてみよう。
 階段を下りてリビングに向かうと、テーブルに料理が並べられていた。席につく。
「ねぇ、誰か引っ越してきたの?」
「あぁ、朝日さん家のことかい? うん、つい最近引っ越してきたばかりよ」
「そうなんだ」
「確か、ハルカちゃんと同じ年頃の女の子もいたと思うけど……今度挨拶に行ってみたらどうだい?」
「うーん……わかった」
 なんだか急速に興味が失せてしまった。
「ほら、さっさと食べましょう」
「うん」
「いただきます」
 
2.
 人生には、どうしようもないことなど幾らでもある。私にとって初めてのそれは、やはり両親の交通事故死だった。
 それをきっかけに、次々とどうしようもないことが現れ始めた。生活環境、人間関係、その他諸々。
 直ぐに施設で暮らすことになったのは、まだマシな方だった。慣れてしまえば何とも思わなくなる。幸い、施設の質自体はそこそこ良く、人間的な生活を送れていたと思う。でも、どうしようもないことに、小学校を出る頃に財政の悪化で潰れた。
 もう一つ、どうしようもなかった事をあげるならば、施設に暮らす仲間たちだった。私のような交通遺児はまれで、皆両親に棄てられた、両親の顔さえもまともに覚えていない子ばかりだった。
「あいつはまだ親がいたんだからいーよな」
 聞こえてる、その悪口。
「ほんとほんと、私なんて親の名前さえ知らないのに」
 中途半端で放り出されるより、何も知らない方がよっぽどマシだ。
 中学に入り、寮で暮らすようになってから、さらに私を取り巻く環境は変わった。皆、普通の子になったのだ。それだけならいい、私も普通に埋もれて普通になれる。でも、普通の中に潜む悪魔は、いつまでも私を苦しめた。悪意のない攻撃。ふとした瞬間に皆が思い出される、「ハルカの親は交通事故で死んだ」という事実が、皆の中での私へのイメージになった。私は交通遺児であって、それ以上でもそれ以下でも無くなってしまったのだ。いつしか、私は心の底から誰かと仲良くするのを諦めるようになった。
 そして、その時の私はまだ知らなかった。誰にも分かってもらえないその環境を初めて分かってくれる人は、皮肉にもどうしようもないこととは無縁にしか思えない、能天気な少女であることを。

***

 次の日。早速絵を描き進めることを決めた私は、森の中へと来ていた。
「えっと、ここかな、と」
 まずは川の絵だ。春の絵を見ながら、絵と景色が一致する場所を探し出した。弁当や画材が入ったカバンを地面に置き、中から簡易椅子を取り出して地面に設置する。
 軽く伸びをしてから、椅子に腰かける。夏ではあるが、森の中はひんやりとしていて涼しい。スケッチブックと鉛筆を取り出す。
 鉛筆の擦れる気持ちいい音が響く。水の音と、鳥の鳴き声とともに心地いい音楽を奏でている。この時間、この場所だけは私だけのものだ。
 色鉛筆で絵を描くのが好きだ。私の好きなように輪郭をとらえて、私の好きなように色を重ねて、私だけの優しい世界を創っていく。たとえ現実を映しているだけでも、その世界は私だけの世界だ。
 暫く絵を描いていなかったので多少苦戦はしたが、何よりも楽しいという感情が湧き出てくるから、全然苦ではない。
 ふと我に返って腕時計を見たら、既に正午を超えていた。いったんスケッチブックをしまって、弁当を取り出す。
 弁当と言っても適当に作ったサンドイッチをしまっただけのものだったから、あっという間に食べ終えてしまった。
「よし、やろう」
 再び作業に取り掛かる。この調子なら今日中に線画は終わりそうだ。
「……」
 線を加えていく。細かく書きすぎると色を塗るときに邪魔になってしまうが、かといって全く書かないとかなり塗りづらい。絵の中の世界を決める大事な工程だ。
「よし、できた」
 色塗りも初めてしまおう。そう思って後ろに置いてあった鞄の方を向いた、その時だった。
「……!?」
 いつの間にか、私の真後ろに誰かが立っていたのだ。驚いて椅子から転げ落ちる。
「あ、やっと気が付いたの? こんにちは~」
「こ、こんにちは……?」
 あまりの出来事に整理が追い付かない。紺色の髪をした女の子がこちらを見下ろしている。
「い、いつの間に立ってたんですか?」
「だいぶ前かな~。声かけようと思ったんだけど、集中してるみたいだから悪いかなって」
「いや、声くらいかけてくださいよ……」
「ごめんごめん」
 笑顔で謝ってくるその様子に、反省の色は全く見られなかった。私の知らないうちに何時間も手元を眺められていたのだ、正直かなり不快だ。
「うちの名前は旭日ハル。君は?」
 旭日、ということは引っ越してきた人たちだろうか。……あれ?
 なんだか、何処かで会ったことがある気がする。気のせいかな。
「私は、上島ハルカ、だけど……」
「おー。お揃いじゃん。ね、隣座っていい?」
「椅子、ありませんけど……」
「いーのいーの、地面に座るから」
「はぁ……絵を描いているだけですよ?」
 調子が狂う。あまりにも馴れ馴れしくて、自分の領域にずかずかと踏み込まれているようだ。
「うんうん、ハルカの絵を描いている所を見たいの」
「……」
 早速呼び捨てですか、と言おうと思ったがやめておく。そういう人なのだろう、この人は。
「邪魔しないでくださいよ」
「うんうん」
 色鉛筆セットを取り出す。地面の部分の色を塗っていると、早速邪魔が入ってきた。
「なんで黄色で塗ってるの? 茶色いじゃん」
「色鉛筆画は色々な色を重ねていくんです。最初から茶色で塗ったら、色が単調で自然な絵になりませんから」
 自分でも苛立った話し方をしているのがわかるが、そんなこともお構いなしに旭日ハルは頷いている。
「なるほど~。道理で鉛筆の色が少ないわけだ」
 無視して書き進める。また話しかけてくるかと思ったが、意外と黙って私の絵を見ている。
 気がつけば空はすっかり橙色に染まっていた。帰り支度を始める。
「あれ、帰るの?」
「はい。もう、夜なので」
「あー、うん。明日も来ていい?」
「……ご自由にどうぞ」
 どうせ断っても来るだろう。荷物を纏め終わったので、鞄を持って歩き出す。
「あ、待ってよー。一緒に帰ろ」
「……」
 嫌いだ、この人。

3.
 次の日。朝から色を塗り進めていると、昼前にまた旭日ハルがやってきた。
「おーっす。やっぱりここにいるんだ」
「また来たんですか?」
 いちいち目線を映すのも面倒なので、目を合わせずに答える。
「ご自由にどうぞ、って言ってたしね。それより見てよこれ」
 私の目の前に何かが差し出される。これは……。
「スケッチブック?」
「そうそう。倉庫の奥にあったからさ、うちも鉛筆画やってみようと思って」
「……そうですか」
「ちゃんと弁当も椅子も持ってきたんだ~」
 ガチャガチャと椅子を組み立てる旭日ハルを横目に色を塗り進める。変に騒がれたり口を出されたりするよりは、横で絵描きに熱中してくれた方がよっぽどマシだ。どうせ止めてもここに居座るんだろうし、だったらこのままにしとく方がいいだろう。
「よっし、やるかー」
 絵を描き始める旭日ハル。私も集中しなくちゃ。
「えっと、ここがこうで……」
 集中、集中……。
「いや、こうかな……」
 集中、集中……!
「……」
 向こうも黙ったようだ。集中しよ──
「ちょっと待って、それじゃ駄目」
 ふと見てしまった、旭日ハルの絵。画力はあるのか、ある程度上手に書いているが、基礎が全然なってない。
「線が濃すぎです。それじゃ上から塗っても目立っちゃうし、失敗して消す時も跡が残ります」
「……? う、うん」
「それに、最初から細かく書きすぎです。最初は全体を大まかに書いてからにしないと、バランスが悪くなるので」
「えっと、つまり?」
「こういうことですよ」
 自分のスケッチブックを一枚めくり、新しいページで見本を見せる。
「なるほど! ありがとなー」
「でも、最初から風景を描くのは難易度が高いので、まずは単体で何かを描いてみればいいと思う。……ほら、そこの花とか」
「ふむふむ」
 変なところに時間を使ってしまった。再開しよう。
 そう思って元のページを開いていると、また話しかけてきた。
「意外だったな。ずっと無視して書き進めるのかと思ってたよ」
「あまりにも見てられなかったので」
 見ると、旭日ハルは先程の助言の通りに書き進めていた。
「ありがとなー」
「うん」
 感謝されて少し喜んでいる自分に驚きながら、川に色を塗っていく。
「……」
「……」
 二人で黙々と作業を進めていく。昨日は私と鳥と川だけで奏でていた音楽に、もう一つの筆の音が加わった。昨日よりだいぶ賑やかだけど、同じくらい心地の良い音楽だった。
「昼にしよーぜ」
「はい、そうですね」
 私はサンドイッチを、旭日ハルはおにぎりをそれぞれの鞄から取り出す。
「いただきます」
「いただきまーす」
 食べ始める。私がずっと川を見ながら食べているものだから、旭日ハルが少し気まずそうにしているのが分かる。が、沈黙に耐え切れなくなったのか、向こうから話しかけてきた。
「ふぁるふぁってふぁ~」
「ちゃんと飲み込んでから話してください」
 話し方と言い行動と言い、本当に女の子らしくない。隣から、何かを飲み込む音が聞こえてくる。
「ハルカってさ、いつからここに来てるの?」
「一昨日ですね。夏休みが始まったので」
「なるほどね。いつもはどこに?」
「東京の方で。高校の寮に住んでます」
「ってことは、上島さんがお母さんってこと?」
「……おばあちゃんです。両親は、もう死んでるので」
「あ……ごめん」
 また始まってしまった。この感じ、もうウンザリだ。
「慣れてるので、大丈夫です」
「いや、えっと──うちもさ、両親とも死んでるんだ」
「……えっ」
 思わず旭日ハルの方に目を向ける。
「だから、なんていうか、『君両親ともいないんだ』みたいに、変に心をぐちゃぐちゃにしてくる人がいやっていうかなんていうか……。で、自分がその人側になっちゃて、なんていえばいいんだ、これ……」
「……ふ」
 思わず笑ってしまった。なんだ、同じだったんだ。
「あー、笑ったなー!」
「ごめんなさい、でも、ちょっと可笑しくって」
「酷いなー」
 少し申し訳なくなって、川の方へと目を向ける。
「ねーねー、その敬語やめようよ。高校生ってことは、私と同じくらいでしょ? 十五? 六? 七?」
「十六ですけど」
「なんだー、同い年じゃん。じゃあ、敬語はやめ。おーけー?」
「は、はい──うん」
「呼び方も、ハルでいいから。じゃ、さっさと食べてまた取り掛かろ」
「うん」
 また黙々と食べ始める。旭日ハル──ハルは、食べるのも豪快なようでもうすぐ食べ終えてしまいそうな勢いだ。喉に詰まらないのだろうか。っと、私もさっさと食べ終えて取り掛かろう。
 私が食べ終える頃にはハルはもう絵を描き始めていた。私も色塗りに取り掛かる。
「……」
 二人の筆の音が響く。……よし、全体の下塗りは終わったかな。ハルの手元を見ると、線画がだいぶ完成しているようだった。初めてにしてはかなり上出来だ。
「ん? どうした?」
「ううん、なんでもない」
 こちらの視線に気が付いたハルが声をかけてきたので、慌てて作業に戻る。
 どれくらい経っただろうか。空が暗くなってきた。
「そろそろ帰ろー」
 ハルの声で我に返った私は、帰り支度を始めることにした。
「明日もやるよね?」
「うん」
「よかったー」
 ハルの片づけが終わったのを見て、鞄を持って歩き出す。
「いやー、楽しいなー」
「うん。楽しいよね」
「どうどう? うち、上手く描けてる?」
「うん、まぁ初めてにしては上出来かな」
「よかったー」
 そんなことを話していると、あっという間に分かれ道についてしまった。
「じゃあ、また明日ね」
「おーう。ばいばーい」

***

「なんなんだろう、あの人……」
 湯船に浮かんだ髪を指に絡めながら考える。
 意外だった。まさか、こんなところで同じ境遇の人間に出会うとは思わなかった。
 他人が、苦手だった。両親の死にもかなりのショックを受けたが、一番つらかったのは周囲の人間から「可哀そうな子」「両親のことには触れちゃいけない」と、過剰に反応されることだった。腫物を扱うという言葉がピッタリなほど、周囲の人間の私への接し方は変わってしまった。本当は、そっちのことの方がよっぽど辛いのに。誰も気が付いてくれない。
 この髪もその苦しみの証だ。ストレスで生えてくる髪の色が茶色く変化してしまい、結局元に戻ることもなく、今では黒い部分が全く無くなってしまった。
「はぁ……」
 あの人も、同じことを思ってるんだろうか。というか、学校はどうしてるんだろう? この近くに高校などないはずだ。電車もほとんど通ってないから、ここから通学するのはかなり無理がある。かといって、おばあちゃんの話から推測するに、普段は寮に居て夏の間だけ戻ってくる、という訳ではなさそうだ。
「やっぱり、あの人のことを考えてるだけで疲れちゃうな……」
 風呂から出ることにした。

4.
「おーっす」
 次の日。昨日と同じ時間に来てみると、すでにハルが絵描きを始めていた。
「随分早いのね」
「まぁねー。もう少しで線画が終わりそうだったから、ちょっともやもやしちゃって」
「なるほど。あとどのくらいなの?」
「えっと、あとここをやったら……あ。できた。どうかなー、これ」
 ハルが線画を見せてくる。初めてにしてはかなりの出来だ。
「なかなか上出来……だと思う」
「でしょでしょ」
「本当は訂正したいところもあるんだけど、まずは色を塗ってみた方がいいんじゃないかな。そうすれば自分で反省点も見えてくると思うし、そっちの方が分かりやすいから。色塗りを始めちゃったら線画って直しにくいから、次回に生かすことになると思うけど」
「あー、色塗り、ね」
 ハルがちょっと気まずそうに斜め上を見た。
「色鉛筆、探してみたんだけどさ」
「うん」
 ハルが鞄から何かを取り出した。
「小学校の時に使ってたやつしかなくて」
「これは……」
 ひらがなで「いろえんぴつ」と書かれた箱の中に、大量の色鉛筆が眠っている。長さはバラバラで、折れているものもある。というか、全体的に汚い。
「ちゃんとしたのを使ったのがいいと思う」
「だよねー……ハルカのを使わせてもらうっていうのは」
「それは駄目」
「おおう、即答かよ」
「お互いすごいやりずらいと思うし、ちゃんと自分で新しいのを用意した方がいいと思うよ。自分のがあったほうが、やる気も維持しやすいし」
「うーん、そうなるよな……」
「予備のものがあったらあげてもよかったんだけど、多分ないかな……」
「えーっと、色鉛筆ってどこで買えるの?」
「画材店とか、まぁ文房具屋とか?」
「画材店……そういや、倉庫のスケッチブックを借りていいかってばあちゃんに聞いた時、『江沢の画材店で買った』って言ってたかも」
 江沢は、確かここから電車で二十分のところだ。
「そこに行くのがいいんじゃないかな」
「えっと、電車の時間は」
 ハルがポケットから取り出したスマホで時刻を調べている。
「一時間後に一本……今から家に帰って、貯金箱からお金取って、駅に……よし、ハルカ、行くよ!」
 ハルが私の手を握って走り出した。
「え、何処に」
「隣町に決まってんじゃーん! 今からだったらギリ間に合うから! ギリで!」
「ちょ、荷物置きに帰らなきゃ」
「うちんちに置いときゃいいから」
 ハルが走るのが速いせいで、転ばないようにするのに精一杯だ。
「で、でも、こんな急に」
「午前に一本、午後に一本しかないんだし、午前中のにのるしかないっしょ。明日まで待てないし」
「きゅ、急すぎるよ」
「あははは」
 笑うところじゃないと思う。

***

「ま、間に合った……」
「間に合ったね……」
 なんとか飛び乗った電車の座席に座り込みながら、荒くなった息を整える。おかげで汗びっしょりになってしまった。ここは冷房が効いているので助かる。
「あ、お弁当置いてきちゃった」
「いいじゃん、向こうでなんか食べよう」
「でも、お金持ってきてないし」
「いーよいーよ、付き合わせちゃったお礼でおごってやるって」
「でも、それじゃ申し訳な」
「いーからいーから。色々教えてもらってるし、流石にね」
「……じゃあ、お言葉に甘えさせてもらおうかな」
「そうこなくっちゃ」
 このまま食い下がっても向こうも曲がらなそうだ。素直に奢られることにした。まぁ、安いのにしとこう。
「っつーか、隣の町行くの久しぶりだなー。ハルカは?」
「私は初めて」
「あの村に比べちゃ全然都会だけどさ、普通に田舎な所だよ。海沿いの住宅街って感じかな」
「なるほど」
「どうせカフェだかレストランだかあるだろうし、そこで昼ご飯にしよう」
「わかった」
「それにしてもこの電車、ゆっくりだなー」
 そういうとハルは、靴を脱いで座席に膝立ちして窓の外を見始めた。
「ちょっと。お行儀悪いよ」
「いーじゃんいーじゃん、誰もいないんだから」
「えー……」
 そんなこんなで話していると、あっという間に二十分経っていたようで、車内放送が流れてきた。
「次はー、江沢ー、江沢ー」
「あ、もう着くんだね」
「早いなー」
 ハルが靴を履いている間に、電車が到着したようだ。
「さっさと降りるぞー」
「うん」
 電車から出ると、またも熱い空気が身体に纏わりついてきた。せっかく汗が引いてきたのにな……。
「えっと、画材店ってどこだろう」
「待ってー、今調べるから」
 そういうとハルはまたスマホを取り出した。
「えっと、駅を出て、そのまま真っ直ぐ進んで、海沿いの道に来たらそこを右にちょっと歩けばあるっぽい」
「分かった。とりあえず、改札を出よう」
 切符を見せて改札を出る。
「ほんとだ、普通に住宅街だね」
「でしょでしょー。でも、海沿いなのがちょっといい感じだよな、うん」
 駅から海まで坂道になっているので、海と一緒に街も見下ろせている。
「確かに……なんか、懐かしいな、ここ。来たことあるかも」
 なんとなく、ここに似た何処かに来たことがあるような気がした。
「どっか別の似た所と勘違いしてんじゃない?」
「そうかも。まぁいいか、さっさと画材店に行こう」
「そうだなー」
 先程言われたとおりに歩き出した。

***

「思ったより大きかったなー」
「まさか、三階建てのビル丸ごと画材店とはね……」
 昼過ぎ。色鉛筆を買い終えた私たちは、行く途中で見つけた海沿いのカフェに来ていた。テラス席に通されたお陰で、海が一望できる。
「さっさと頼んじゃおーぜ」
「うん」
 メニューを見る。ランチセットが三種類あるのか、うーんと……
「このランチセットBにしようかな。ハルは?」
「じゃあ、このランチセットCにするか。すみませーん、ランチセットBとCお願いしまーす」
 ハルが店員さんに注文してくれた。
「ありがとね」
「うん。……あ、カモメ」
「え、どこどこ?」
「ほら、あそこ。えっと、なみどめばだっけ。そこに居る」
「はとば、ね。……ほんとだ、二羽いるね」
「海沿い、って感じだな」
「だね」
 しばらくカモメを見ていると、料理が運ばれてきた。私のがスープにサラダ、それと三つのパンにコーヒーのセットで、ハルのはハンバーグとサラダとスープとコーヒーのセットだ。
「いただきます」
「いただきまーす」
 コーヒーにミルクを注ぎ、角砂糖を一つ入れる。ハルはブラックのままで口をつけていた。
「あれ、ブラックなんだね」
「まーなー、別に砂糖とか入ってるのも好きだけど、今日はブラックの気分」
「そうなんだ」
 パンを口に運ぶ。……美味しい。値段の割にかなり美味しい気がする。
「うめーなー、これ」
 ハルもハンバーグを食べながら絶賛している。
 食器の音と、波の音が響く。本当に美味しいものを食べていると人は口数が少なくなるようで、お互いに殆ど会話を交わすこともなく食べ終えてしまった。
「ごめんね、奢らせちゃって」
「またそれかよ、いいっていいって」
 そういいながらハルはまたメニューに手を伸ばした。
「あ、クリームソーダあるんだ」
「クリームソーダか、懐かしいな。小さい頃、よく飲んだな」
「今はタピオカ? だっけ」
「うん。私はあんまり好きじゃないけど」
「ふーん……すいませーん、クリームソーダ二つくださーい」
 ハルが店員さんに注文を入れている。
「えっと、ハルが二つ飲むの?」
「あれ、飲みたくなかった?」
「あ、私の分なんだ」
「うん、嫌だった?」
「いや、奢らせちゃって悪いなって」
「まーたかい。こんな時くらいしかお金使う機会無いんだから、別にいいんだって」
「使う機会無い、か。ハルってさ」
「どうした?」
 聞くか聞かないか悩む。……いいや、聞いちゃえ。
「学校ってどうしてるの?」
「うち? あー、行ってないよ」
「そうなんだ……」
「一応中高一貫入ったんだけどさ、中学で辞めちゃった」
 確かにハルの自由奔放さは学校に合わないかもしれないが、ハルならそんなのは気にせずに通ってる気がする。「辞めさせられた」なら分からなくはないけど、「辞めた」とはどういうことなんだろう。
 返事に困ってしまい、気まずい沈黙が流れる。
「理由、聞かないの?」
「……嫌かなって」
「別にいいんだ、いつか言おうと思ってたし」
 店員さんがクリームソーダを運んでくる。アイスとメロンの甘い香りが、嫌になるくらい空気にあっていない。
「うちさ、小学校の時からこんなんだけど、結構勉強はできてさ、中学受験して私立に入ったんだ。結構奇麗な学校で、行事とかも沢山あったから、楽しみにしてたんだけど」
「……うん」
「めちゃめちゃ偏差値が高いって訳じゃなかったからさ、うちみたいにちょっと勉強が得意だからなんとなく入ってみた人たちと、上の方の学校に落ちて滑り止めとして入った人たちがいて。普通なら、その二種類の人たちが混ざってなんだかんだで仲良くなるらしいんだけどさ、うちらの代は滑り止めで入った人の方が異様に多かったみたいで」
 ハルがクリームソーダをひとくち口にした。私も少し飲んでみるけど、あまり味が分からなかった。
「身の丈に合わないコンプレックス抱えた奴らが、勉強だ成績だってずっと競争しててさ、すっごくつまらなかったんだ。そりゃ、勉強も大事だとは思うけどさ、なんか、気味悪いくらいそれに執着してるの、それでもまぁ中一のうちはうちと同じような奴と絡んでなんとかやってたんだけどさ、中二で全員とクラスが離れちゃって、新しいクラスは中一の時より競争が激しくて」
「……うん」
「それで、たまたま近くの席に居た成績がそこそこいい女の子──ナツキって奴と仲良くなってさ、なんだかんだで上手くやってたんだけどね。でも、ナツキが二学期の中間テストで、たまたまいつもよりいい成績取っちゃって、他の女子たちに目を付けられちゃって、虐め紛いの事されるようになって」
 海風がひときわ強く吹いた。ハルが少し乱れた髪をかき上げている。
「確か、文化祭準備の時かな……ナツキの髪をはさみで勝手に切ろうとした奴が居てさ、うち、咄嗟にそいつの事殴っちゃってさ。『やめろ』ってね。いやー、あの時が一番かっこよかったな、うち」
 ハルは虚しそうに笑って、溶け出したアイスを軽くかき混ぜた。
「それで、うちも目を付けられるようになって。別にうちは辛くなかったんだけど、ナツキへの虐めもどんどん強くなって」
「……」
「それで、年が変わるころにさ。……自殺したんだ、そいつ」
 クリームソーダを口にする。味は相変わらず分からないが、甘いからか飲み込むと胃に重いものが落ちるような違和感があった。
「首つって死んでたんだ。それでさ、虐めのターゲットがうち一人になって。それ自体は辛くなかったんだけど、『転校した子をうちが殴った』っていう出鱈目な噂が流れ始めてさ、そんなもんかーってなって、全部面倒くさくなって。失望して。それで、中三はずっと保健室通いだったなー」
 海風が肌に纏わりつく。
「まぁ、それで中学で辞めたってわけ。ナツキのこと助けられたんじゃないかなーって思うことはあるけど、後悔しても仕方ないし。……じゃあ、この話はここで終わり! さっさと飲まないと、アイスが溶けちゃう」
「うん、そうだね」
 美味しそうにクリームソーダを飲むハルとは反対に、私はあんまりおいしく感じられないままだ。
「ハル」
「どうした?」
「ごめんね」
 私は最低だ。
「どうしたんだよー、急に」
「……わかんない」
 言える訳が無い。
「なんだよそれー」
 そうやって笑うハルは、すっかり今までの向こう見ずでガサツなハルに戻っていた。なんとなく、クリームソーダが美味しく感じられるようになった。
「そうだ、ハルカってスマホ持ってるの?」
「一応持ってるよ」
 ポケットから取り出す。
「メアドと番号交換しよー」
「うん」
 スマホを弄って番号を交換する。
「これでよし、と」
「うん」
 さっさと、クリームソーダを飲み干してしまおう。

7.
「そういや、ハルカって動物とかは書かないのか?」
「どうしたの、急に」
 色鉛筆を買いに行った三日後、川のスケッチを終えて田んぼの風景をもとに線画を描いていた時、ふと聞かれた。
「いや、なんとなく。そのスケッチブックの中も景色とか花とかばっかじゃん?」
「うん、止まったものを描く方が好きかな」
「へー、なんで?」
「静かな方が好きだから。私だけの世界を描いてるみたいで。それに、描きやすいしね」
「あー、うん」
 ハルが空を見て微妙な顔をしている。
「悪かったな、五月蠅くて」
「いや、そういう意味じゃないから……」
 確かに今のはそういう意味に聞こえたかもしれない。少し反省。
 ハルの方を見ると、そのまま空を見上げていた。私も一緒に空を見上げる。
 真っ青な空にいくつかの白い雲が浮かんでいる。夏、という単語が似合いそうな空だ。そういえば、最近はあまり空を見ていなかった。ハルに振り回されてそんな余裕もなかったし、別に空を見ていなくても楽しいことが沢山ある。
 今ではすっかり隣にハルがいることに慣れてしまった。そんなハルは、次の日のうちに真新しい色鉛筆たちで色を塗り終えてしまった。丁度私の色塗りも終わったので、次の場所に移動してきたという訳だ。
「描くかー」
「うん、そうだね」
 私は景色全体を、ハルは家一軒に絞って描いている。
「これ描き終わったら、ハルカの事でも書いてみようかなー」
「私!? なんで」
 突拍子のないことを言い出したもんだから、若干声が裏返ってしまった。
「いや、なんとなく。ハルカは、人の絵は描いたことあるの?」
「美術の時間でくらいかな。難しいし、上手く描かないと被写体の人に申し訳ないし」
「そういうもんかなー」
「うん、少なくとも私にとっては」
「まぁ、うちも一回やってみようかな」
「でもそうしたら私はじっとしてないといけないんじゃ」
「いーのいーの、スケッチしてる横顔を描くだけだから。いつも通りにしてればいいよ」
「横顔でいいの?」
「うん。スケッチしてる時のハルカの横顔ってさ、真剣だけど、どこか楽しそうでさ。奇麗な茶色い髪がちょっと揺れてて、なんつーか」
「……」
「まぁ、うちは好きだぜ、ハルカの横顔」
「そ、そう」
 なんなの、それ。少し恥ずかしくて、思わず俯いてしまった。
「す、好きにしたら」
「やったー。じゃあ、さっさと家を描き上げちゃお」
「う、うん」
 
8.
 次の日のこと。私は村の外れの鉄橋の線画を始めていた。そして私の真横から、ハルが私の横顔をスケッチしている。
「うーん……」
 何かが書き込む音が聞こえてくる。
「うー?……」
 顔をあげては何かを書き込み、また顔をあげては──の繰り返し。絵を描く時の基本動作ではあるけれど、いざその対象物が自分になると動作の一つ一つが気になってしまう。さらに、ハルの独り言がいつもより多い気がする。集中しづらい。
「……」
 集中、集中……。
「あー……」
 集中集中……
「……」
 集中、集中……!
 駄目だ、少し無理がある。
「もう少し静かにできない?」
「えー、うちそんなに五月蠅かった?」
「うん、だいぶ五月蠅かったよ」
「ごめんごめん。でもさ、難しんだよ、見てよこれ」
 そういってハルは自分のスケッチブックを見せてきた。
「……ふっ!」
 思わず吹き出してしまった。そのまま笑いが止まらず、腹を抱えて笑ってしまう。
「酷いなー、頑張って書いてるのに」
 風景画は上手くても、人物画は下手なようだ。人間とは思えない奇妙な物体が描かれている。まだ止まることのない笑い声が、鉄橋の下、渓谷へと響き渡っている。
 鉄橋を新幹線が走り抜けた頃、やっと笑いが収まった。
「えー、なんかいいや」
 そういうとハルは、紙をスケッチブックからちぎり取って、そのままビリビリに破いて渓谷へと棄ててしまった。
「ご、ごめん」
「いーのいーの、ハルカの魅力を表現できる程うちの画力はないって分かったし」
「魅力って……うっ」
 ハルのボケに突っ込もうとした瞬間、急に頭痛が襲ってきた。全くそんな気配もなかったのに。
「どーした? 大丈夫かー?」
「急に頭痛くなってきちゃった」
「新幹線の音が五月蠅かったのかなー、今日はもう終わりにしといたら?」
「うん、そうする……」
 帰ることにした。

9.
 結局、帰ってすぐに寝てしまい、起きたのは次の日の朝だった。ハルからの「大丈夫かー。ずっと絵ばっか描いてるから、疲れてきたんじゃねーの? 明日くらいは休んだら」というメールに従って、今日は休むことにした。とはいえ家にいてもやることがないから、ゴロゴロ本や漫画を読んだり、テレビを見たりするしかなかった。……部屋に夕日が差し込んでいる。今何時だろ、六時か。
「そろそろ夜ご飯かな」
 立ち上がって、部屋を出る。階段を下っていると、ドアのチャイムの鳴る音が聞こえてきた。おばあちゃんは夜ご飯の準備で忙しいだろうから、私が出ておこう。
 またチャイムが鳴らされる。急いでドアを開けると、そこにはハルが立っていた。
「おーハルカ! 元気か?」
「あ、うん。お陰様で──」
「じゃあ、今からバーベキューしない?」
「ど、どうしたの急に」
「バーベキューしよーって思って」
「それは分かってるんだけど」
 そもそも夜ご飯作っちゃってるし、と言おうと思った瞬間、いつの間にか後ろに立っていたおばあちゃんが言った。
「行ってきていいよ。夜ご飯も、まだ全然できてないから」
「で、でも……」
「はーい、じゃあ決定! 行くよ、ハルカ」
 ハルが手を掴んでくる。
「ま、まって、靴」
 靴もまともに履けずに飛び出した。

***

 連れてこられたのはハルの家の庭だった。バーベキューコンロと水の入ったバケツ、炭、キャンプ用のランタン、竹串、それに大量の生肉と少量の野菜や塩胡椒とが用意されている。野菜が少なめなのがいかにもハルらしい。
「準備万端だね」
「まぁ、ハルカの体調が悪かったら明日やればよかったし」
「そっか」
「よーし、じゃあ始めてこー」
 着火剤らしきものに火をつけている。
「うちが炭入れてくからさ、ハルカは団扇で扇いどいてくれない?」
「わ、わかった」
 いつのまにか軍手をしていたハルが団扇を差し出してくる。炭が投入されるのに合わせてパタパタと団扇を仰いでいると、やがて炭が赤く色づき始めた。
「そろそろいいかな?」
「まだ駄目、もう少し扇いで。代わろっか?」
「ううん、大丈夫」
 根気よく扇ぎ続けていると、やがて炭全体に火が広がり始めた。
「よっしゃ、後は火の勢いが収まるまで待とう」
「うん」
 団扇を置く。
「それにしても、なんで急にバーベキューなんか?」 
「前に、スケッチブックを倉庫から見つけたって言ったじゃん? その時に、このコンロとランタンも見つけたわけ。それで、いつかバーベキューやりたいなーってところに、親父のお兄さんの奥さんの弟──酪農家なんだけどさ、その人たちが肉を送ってきて、『これもうやるっきゃないでしょ! 』ってなったわけ」
「随分遠い親戚さんから送られてきたんだね……」
「バーベキューしたら丁度二人分かなって量だったから、ハルカを呼んだわけ」
「そっか。ありがとね、よんでくれて」
「いいってことよ」
 いつの間にかだいぶ暗くなってきたようだ。田舎なので光が少ないこともあり、ランタンと炭の光がいい雰囲気を醸し出している。キャンプに来たみたいだ。少し風が強くなってきたが、炭のお陰で寒くはない。
「そろそろかなー」
 ハルが手をかざしている。
「よし、やりますか」
 ハルが竹串に具材を指し始めたのを見て、私も適当に刺し始める。
「懐かしいな、この感じ。昔、お父さんとお母さんとやったきりかな」
「あ、ハルカも? うちもなんだ、最後にやったの」
「ハルもなんだね」
 とりあえず二本分を網に並べる。ハルは三本目を作っているようだ。
「ちょっと寂しくなるかなーって思ったけど、全然だったわ。ハルカがいるからかな」
「もう、どうしたの急に」
 三本の串を並べながら、ハルは悪戯っぽく笑った。
「んー、分かんない」
「なんなのそれー」
 ちょっと面白くて、思わず私も笑ってしまった。
「おっと、焼いていかないと」
「そうだね」
 頃合いを見ながら串を転がしていく。しばらく頑張ると、いい感じに焼け目が付いてきた。
「そろそろじゃないかな」
「おう、そうだな」
 とりあえず紙皿に一本だけ乗せて、塩胡椒を振ってみる。ハルもやり終わったのを見て、食べ始めることにする。
「いただきます」
「いっただきまーす」
 恐る恐る口に運んでみる。まずは牛肉だ。
 バリ。こんがり焼けた表面が小気味の良い音を立てたと思った瞬間、沢山の肉汁が溢れてくる。そのまま肉の一部を串から切り離し、さらにもう一度噛んでみる。舌の上でとろけそうなほど柔らかい牛肉から、さらに肉汁が溢れてくる。そのまま夢中で噛んで、そして飲みほす。
「美味しい……」
 思わず自然に言葉が漏れてしまった。残りの牛肉を口に運びながらハルの方を見ると、すでに一串分食べ終えていた。
「美味いなーこれ」
 このままじゃハルに肉と野菜を独り占めされてしまう。私もペースをあげなくっちゃ。

***

「楽しかったけど疲れたなー」
「ほんとにね」
 バーベキューも終わり、後片付けも終えた私たちは、ハルの家の縁側に座ってスイカを食べていた。
 ハルがスイカを齧る、子気味いい音が聞こえてくる。
「凄い夏らしいことしたなー」
「そうだね、バーベキューもスイカも、凄く夏っぽい」
「なー」
 なんとなく星を見上げていると、ハルも私の真似をし始めた。静寂の中、虫の鳴く音が響き渡る。何となくハルの方を向いてみると、澄んだ瞳が光を反射して奇麗に光っていた。
「奇麗……」
「ん、どうした?」
 思わず口に出していたらしい。あわてて言い直す。
「あ、き、奇麗な天の川は田舎の特権だよねっ。……あ、これもちょっと夏っぽいかも」
「確かに。あ、そうだ」
 ハルが部屋の中に駆け込み、何かを持って戻ってきた。
「やっぱ夏の縁側と言えば蚊取り線香だよな」
「うん、確かに」
 ハルが火をつけた途端、線香のいい匂いが漂ってくる。最高に夏らしい。
 スイカを食べるのを再開する。私はスプーンで種を取ってから食べるが、ハルは豪快に食べては庭に種を飛ばしている。ハルらしいといえばハルらしい。
 蚊取り線香が半周程したころには、私もハルもスイカを食べ終えていた。
「楽しかったな」
「うん。……ていうか、ここに来てから毎日が楽しい、かも」
「ここって、この家?」
「いや、そうじゃなくて。この村の事だよ」
「あぁ……学校、嫌いなの?」
「うーん、嫌いって訳じゃないけど、好きでもないかな」
「意外だなー、ハルカって勉強めちゃめちゃ真面目にやるタイプだと思ってたよ」
 時計をチラリと見ると、午後十時を指していた。
「そういう訳じゃないんだけどね……そろそろ帰らなきゃいけないかも」
 軽く腰を浮かせてハルの方を見ると、ハルはどこか気まずそうに他所をみながら言った。
「もう少しだけ、話してこうぜ」
「? まぁいいけど」
 浮かせた腰を元に戻す。とは言え、話すこともない私はハルが話し始めるのを待つしかなった。
「明日は、絵を描くのか?」
「うん、そのつもりだけど」
「そうか……」
 また静寂が訪れる。暫く虫の声を聴いていると、またもハルが口を開いた。
「うちさ、ハルカに謝らなきゃいけないことがあるんだ」
「どうしたの、急に」
「うちが最低最悪だって話だ。……うちなりの、けじめだ」
「……」
 ちょっと前までの笑顔のハルと同一人物とは思えないほど、ハルの顔は暗く見えた。……光が少ないからだろうか。
「川辺で偶然出会って、押しかける様に絵を一緒に描き始めて、電車で隣の町に行ったり、バーベキューしたりスイカ食べたり、うちはとっても楽しかったし、ハルカが仲良くしてくれるのも嬉しかった」
「……私も、楽しかったよ」
「それでさ、前に虐められてたナツキって子の話、したよな?」
「……うん」
 黙ったハルを横目に空を見ながら、私は次の言葉を待った。
「ナツキがさ……ハルカと似てたんだ」
 ハルの声が少し涙ぐみ始めた。
「……」
「それで、うちは、ハルカに色々としてあげて、一緒に遊んで、一緒に笑って。勝手にハルカにナツキを重ねて、ナツキに対しての出来もしない罪滅ぼしをしてたんだよ」
「……なんなの、それ」
 目から涙が溢れて来る。それを拭くことも忘れて、私は言った。
「じゃあ、今までのも全部嘘だったってわけ? 私がハルのことを友達だって思ってたのも、全部私の勝手な思い上がりだったの?」
 治ったはずの頭痛がぶり返した。ずきずきと痛む。
「ごめん、ハルカ……」
「……もういい」
 立ち上がって走り出す。後ろからハルの声が聞こえた気がしたけど、もう知らない。あんな奴。

***

 その後のことはあまり良く覚えていない。気が付いたら風呂を済ませて家のベッドにいた。
 未だにズキズキと痛む頭に、いつの間にか振り始めた雨の音が突き刺さる。
「酷いよ……」
 こんな時に限って、思い出すのは楽しかったことばかりだ。出会って一週間と少しだけど、初めてできた"友達"との思い出はどれも新鮮なものばかりだ。
「うぅ……」
 溢れてきた涙を布団でふき取る。シミになってしまうかもしれないが、そんなことはどうでもよかった。
 きっとハルにとって私は友達なんかではなかったのだろう。ただの自殺した友達の代わりでしかないんだ。髪を奇麗と言ってくれたことも、横顔が好きだといってくれたことも、全部、全部嘘なんだろう。
 どうしようもない。どうしようもなかった。止まない雨と頭痛が私の心を蝕んでいく。いっそ、全部壊してほしくなった。
 死してなおハルに大切にされるナツキがどうしようもなく羨ましかった。私が彼女に勝ってるのは、きっと両親が居ないという境遇ぐらいだ。
 初めて、分かってくれる人だったのに、初めて、ちゃんとした友達だと思ったのに。
 どうしようもない暗闇の中、何度も同じところを回り続けている思考の果てに、私は気がついてしまった。
 これは、嫉妬だ。
 大好きなハルの一番に、死してなおあり続けるナツキという少女への、嫉妬なんだ。

10.
「台風十号が接近している影響で、列島全体が──」
 朝になっても雨は降り続いている。なんとなく点けたテレビからニュースが流れている。天気が悪いとハルに会わない理由が出来るから、正直助かる。
「はぁ……」
 私の心も澱んだままだ。頭痛が続いているのは低気圧のせいだろうか。……そう思っておこう。
 このままずっと雨が降ってくれれば会うこともなく済むだろうが、流石にそんなことはあるはずもない。自分の気持ちに整理をつけておかないといけないのに、目を背けていたくなる。
 そして、あろうことかその時は思ったよりかなり早く来てしまったようだ。
 ドアのチャイムの音が聞こえてくる。おばあちゃんが出たようだ。
「ハルカー、お友達よー」
 ……あぁ、もう来ちゃったのか。
「うん」
 重い足を引きずって玄関に向かうと、土砂降りの雨の中、レインコートのポケットに手を突っ込んだハルが突っ立っていた。
「……よっ」
 浮かない顔で、片手をポケットから出して会釈をするハル。
「うん」
 小さな声で返事をする私の隣に、おばあちゃんが大量のタオルを持ってきてやってきた。
 雨が止むまでここで遊んでいるように促している。余計なこと、しなくていいのに。

***

 おばあちゃんが持ってきたオレンジジュースの水滴が、手に纏わりつく。
 どうしようもない。昨日あんなことがあったのに、二人きりになったところで気まずいだけだ。
「……奇麗だな、ハルカの部屋」
「……うん」
「……昨日は、ごめんな」
「……うん」
「うちが、弁明のしようの無い自己中野郎なだけだったから」
「……」
 なんて返せばいいんだろう。なんて返せばちゃんと仲直りできるんだろう。なんて返せば、私のことをちゃんと見てくれるんだろう。分からないよ、分からないけど、ちゃんと伝えるしかない。
「……ハルが、線画を始めた日の事覚えてる?」
「うん」
「あの時さ、両親が居ないって話になって、私の気持ちをちゃんと理解してくれて。……初めてだったんだ、分かってくれる人。その時はさ、ただの自分勝手でガサツな人だなって思ってけど、一緒に居ても心地よくて、心の底から楽しめる人──初めて、友達って呼べる人に出会えたなって」
「……」
「私、昔は髪が黒かったんだ。それで、両親が死んだストレスで、茶色になって、それで自分の髪が嫌いで。でも、ハルはそれを奇麗って言ってくれて。ハルのお陰で、やっと自分が好きになってこれたのに。……でも、昨日、ハルは……」
 一晩泣いて出し切ったと思っていた涙が溢れて来る。
「ハルが、私のことを友達じゃなくて、友達の代わりって見てて、それで、私、私……」
 私の泣く声に、もう一人分の泣く声が混ざり始めた。
「ハルカ、ごめん、本当にごめん……」
 あぁ、私は
「私、悲しくて、悲しくって……」
 貴女の澄んだ瞳が、涙で歪んでいくのが見たくなかった。
「ごめんな、ハルカ……」
 ハルが抱きしめてくる。二人とも同じくらいの背なので、ハルの肩に私の頭を埋める形になった。ハルの右手が私の背に、左手が頭に乗せられる。
「ちゃんと、ちゃんと向き合うから……」
 そして、私は気がついてしまった。
「ハルカのことをもっとちゃんと見るから……」
 私のその感情は、決して彼女に抱いてはいけない
「だから、だから」
 どうしようもない恋心だったのだ。

「……また友達に、ならせて欲しい」
 私はハルのお願いの前で、ひたすら泣きじゃくるしかなかった。

***

 そのまま、二人で何十分も泣き続け、いつの間にか晴れていた空の下をハルは帰っていった。
「疲れた……」
 もうご飯もお風呂も済ませた。後は寝るだけだ。けれど、あの時、あの瞬間から感じるようになった胸を締め付けるような感覚のせいで、なかなか寝付くことが出来ない。泣いている途中に消えていた頭痛も、いつの間にか再発していた。
 急に、抱きしめられた温もりを思い出してしまった。思わず赤面する。
「はぁ……」
 我に返ってため息をつく。私は、なんていう人を好きになってしまったのだろうか。
 夏が終わって、寮に帰る前に、なんとかこの思いにさよならを告げないといけない。ズルズルと引きずっても私が苦しいだけだし、かといってまさか伝える訳にもいかない。
「どうしよっかな……」
 私は、私はどうすればいいのだろうか。結局分からないままだ。

15.
 恋は甘くも苦くもある、とはよく言ったものだ。最初に言い出した人が何処の誰かは知らないけれど、恋の二面性を簡潔に言い表した言葉だと思う。
 けれど、本当は甘いとか、苦いとか、そんな生ぬるいものじゃなかった。時に、何物にも代えがたいような快楽を与えられ、時に、身体ごと引き裂かれるような痛みを与えられる。人生で初めて心を許した相手、しかも同性に恋をした私にとって、それは確かな実感を持って、鮮明に、強烈に与えられた。
 
19.
 誰かを好きになるということは、身体の一番表面を差し出すことに似ている、と思った。相手に触れられ、温められるうちに、相手無しでは生きられなくなる。冷たさに触れた途端、どうしようもないほどに暖かさを求める。
 優しく撫でられ、心地良さに溺れているうちに、いつしか肌は炎症を起こす。その優しささえ痛みに変わる。いつの間にか、感情は凶器そのものになり、引っ掻き回され、血を流し、一生消えない傷跡が残る。それが恋というものだと思う。

23.
「ハルカってさ」
「何?」
「いつ帰るの? その、寮に」
「30日にここを出る、かな」
「ふーん、そっか」
 ハルはまた絵を描くのに戻ってしまった。
 あれから、ハルはちゃんとした風景画に挑戦するようになった。線画もかなり上手になり、私が教えることはもうないように思える。
 あと一週間、あと一週間で終わりだ。それまでに、この感情に到底ケリをつけられそうもなく、冬休みにここに戻ってくるまで、会えない日々を悶々と過ごし続けるだけになってしまいそうだ。
 そんなことばかり考えて線画をしているものだから、間違えて絵の隅にハルの姿を描き始めていた。慌てて消す。
 ハルは、私が真剣に絵を描く横顔が好きだと言ってくれたけれど、私もハルの真剣な横顔が好きだ。多分、何倍も。
 話しているだけで、隣にいるだけでどんどん好きになっていく。もう、止めようがない。
「ハルカー」
「え、な、なに?」
 急に話しかけられて、思わず声が上ずってしまう。
「向こうに帰っても、たまにはメールの一つでもよこしてくれよな」
「う、うん」
 できるものなら、毎日毎日、ずっとメールをしてたいよ。そんな言葉を飲み込む。「友達」のはずなのに、言いたいことも言えない、そんな毎日だ。
「冬にはまた戻ってくるんだよな?」
「うん」
「そっか……」
 少し寂しそうなハルの横顔に、私は一瞬の喜び──ハルが私と会えないことを寂しいと思ってくれる喜びと、数か月も続くハルのいない生活への悲しさを感じた。
「うちのこと、忘れないでくれよ」
「忘れるわけないじゃない」
 貴女のことを、一秒たりとも忘れることはないよ、ハル。
「──ハルも、私のこと覚えといてね」
 これが、今の私の精一杯の言葉だった。
「あったりまえじゃーん」
 悪戯っぽく、ハルが笑った。

24.
 別れの日が近づいてくる。一分一秒でも多く、ハルのことを覚えておきたかった。何日も会えなくても、大丈夫なように。
 貴女は、私の事だけじゃなくて、私と過ごした日々のこともちゃんと覚えてくれるだろうか。私との日々は、貴女の記憶の中で何番目に大切な記憶になるのだろうか。一位は無理でも、せめて、せめて二位にはなりたいよ。

27.
 もし、もしもだ。私がこの想いを伝えたら、貴女はどんな顔をするのだろうか。喜んでくれる──訳はないだろう。困った顔だろうか、それとも、私の事を気持ち悪がる顔だろうか。──やっぱり、伝えられる訳が無い。

29.
 いよいよ明日がお別れの日だ。今日もいつも通りに絵を描いて、その後別れて家に帰ってきた後、私はどうしようもない寂しさにただ座り込むしかなかった。
 明日は、どんな顔をして別れればいいんだろう。
「ハルカー、いるかー?」
 そんなことを考えていると、急に外からハルの声が聞こえてきた。飛びあがって窓を開け、大声で答える。
「どうしたのー」
 大きな袋を両手で掲げたハルがにんまりと笑った。
「花火やろうぜー! 花火ー!」
 どこから出てきたのだろう、その花火は。とりあえず下に降りて、外に出てみる。
「よぉ、ハルカ」
「こんばんは、ハル。どうしたの、その花火」
「やりたくなってさ、チャリで江沢に行って買ってきたんだ」
「い、いつ?」
「さっき、別れた後」
「そ、それはご苦労さま……」
 相変わらず無鉄砲な人だ。
「よっしゃ、じゃあうちの庭でやろうぜ」
「うん、分かった」
 ハルと二人きりの花火に胸を躍らせながら、ハルの庭へと向かった。

***

 バチバチバチ。手持ち花火の音が響き渡る。
 ハルが両手に花火を持って、楽しそうに踊っている。
「あれ、もういいの?」
「ううん、疲れたからちょっと休憩」
 縁側に座って、火花に照らされるハルのことを眺めていた。
 この時間が永遠に続けばいいのに。そんなことを思いながら、立ち上がり、新しい花火を手に持つ。
「ハルー、火、頂戴」
「いいぞー」
 ハルの花火に私の花火をかざす。ふと顔をあげると、キラキラと光り輝くハルの瞳が目に入った。
「点いたぞー……? どうかしたか?」
 顔をあげたハルと目が合ってしまった。
「な、なんでもない」
 慌てて視線を落とすと、私の花火から金色の火花が噴き出していた。
「奇麗だなー」
「うん」
 また踊りだしたハルを見ながら、私も小さく手を振ってみる。……が、二人とも直ぐに火が消えてしまった。
「短いね、やっぱり」
「でもまだいっぱいあるしいいじゃん、次行こうぜー、次」
「うん」
 一本一本、着火していくごとに、終わりが近づいていく。花火の光に照らされて、眩しく光り輝く貴女の姿を、私は忘れることはないだろう。

***

「あとは……線香花火だけか」
「早いね、無くなるの」
 あんなに沢山あった花火が、もう残りわずかとなってしまった。これで、私の夏も終わりだ。
「ま、やっちゃおうぜ」
「うん」
 ハルから手渡された線香花火に火をつける。だんだん、先が丸まってきた。火花を出し始める。
「奇麗だね」
「そうだなー……あ」
 ハルの火の玉が落ちてしまった。
「あちゃー、落ちちまった」
「じっとしてないから……」
「次こそはハルカより持たせてみせるー」
 そういいながらハルは二本線香花火を取り出した。競争する気満々なのだろう。
 私の火の玉も落ちたのを見て、次の線香花火対決が始まる。とはいえ、じっとするのが苦手なハルは、次もすぐに落としてしまった。
「いいなー、ハルカのはなかなか落ちなくて……なんかコツとかあるの?」
「特に……あ、でも根元の方を持つようにした方が長く持つよ」
「あー、なるほどな」
 そういいながらまた二本分取り出している。暫くして私のが消えた後、また次の競争が始まった。
 ハルもコツを掴んだのか、次はなかなか落ちない。二つの火の玉から、奇麗な火花が散り始める。
「これが最後の二本だったぜ」
「そっか」
 二人黙って火花を見つめる。
「うちさ」
 しんみりとした顔をしたハルが、口を開いた。
「ハルカと会えて良かったよ」
「ど、どうしたの、急に」
「いや、なんとなく……楽しかったぜ、ありがとな」
「こ、こっちこそ。楽しかったよ、ありがとね」
 本当は、楽しいとか、ありがとうとか、そんな言葉じゃ足りないけれど。
 火の玉が、二人同時に落ちた。最後の、最後の一瞬の火花は、とても奇麗で、それでいて儚かった。
「あ、アイスあるんだった。取ってくるから、適当に縁側にでも座って待ってて」
「うん」
 ハルが家の中に走り去っていく。
「はぁ……」
 思わずため息をつく。これが、この夏最後の思い出なのだろう。今日の私は、上手く笑えているだろうか。少し不安になってきた。
「おまたせー」
 走り寄ってきたハルが私にアイスを手渡す。直方体型のソーダーアイスだ。
「ありがとう」
 受け取って袋を開けると、すぐにソーダーの匂いが充満し始めた。
「江沢で飲んだクリームソーダを思い出すなー」
「そんなこともあったね……あの時は、びっくりしちゃった」
「びっくり……あぁ、ナツキの話か」
「うん」
 ナツキ、という名前に、少し私の胸が痛むのを感じた。
「まぁ、あれだな……おいしかったよな、クリームソーダ
「うん、あんまり飲まないし」
「そういや、ばあちゃんに聞いたんだけどさ。あそこのカフェのココアがめちゃめちゃ美味いらしいぜ」
「そうなんだ……じゃあ、次来た時に食べに行こうよ」
「あぁ、約束だ」
 ニッと笑ったハルに私も微笑み返して、アイスを一口齧る。腹が立つくらい甘い味が、口いっぱいに広が──
「うっ」
 頭痛が襲ってきた。
「ど、どうした? なんか入ってたか?」
「いや、頭が痛くて」
「あぁ、アイス食ってるからだな」
「ごめん、お騒がせして」
「あぁ、別にいいさ」
 頭痛が収まってきた。その後、これといった会話もなく、二人ともアイスを食べ終えてしまった。
 そのまま倒れる様に縁側に寝っ転がったハルを見習って、私もハルの隣に寝っ転がる。
「星、奇麗だな」
「うん」
「確か、バーベキューの後もこんな風に星見たよなー」
「確かに。でも、あの時はこんな風に寝っ転がってはなかったよ」
「そういやそうだった」
 笑っているハルの方に目を向けると、あの時と同じようにキラキラと光ったハルの瞳が見えた。
 あぁ、私、やっぱりハルが好きだ。好きで、好きで、どうしようもないくらいに好きだ。
 ハルが少し体制を変えたのか、私の手とハルの手が触れた。少しだけ、ハルの体温が伝わってくる。ここでハルの手を握る勇気は、私にはまだ無い。
「……明日でお別れかー」
 一瞬の静寂の後、またハルが口を開く。
「また?」
「いやー、何して冬まで過ごそっかなーって」
「私がここに来る前は何してたの?」
「覚えてねーや、祖母ちゃんの手伝いとかかな……ハルカと過ごすのが楽しすぎてさ、忘れちゃった」
 悪戯っ子のように微笑むハルの顔を見て、私の胸がドキリと痛んだ。そんなこと言われると、ちょった期待しちゃうよ。やめて欲しい。
「……また、絵でも描いてれば?」
「あ、それいいな。よっしゃ、ハルカがいない間に上達して、アッと言わせちゃおーっと」
「うん、頑張ってね。ちなみに、アッと言わせるって、死語だよね」
「うるせーなー」
 二人で軽く笑う
「……」
 また、会話が止まる。ハルと私の呼吸音と、鼓動の音だけが聞こえてくる。
 星空の中、二人だけの世界。いつまでも続けばいいのに、とは思うものの、そんなことは無理なようで。
 リビングの方から、時計のチャイムが聞こえてくる。
「十時か……そろそろ帰った方がいいんじゃねーの?」
「うん、そうだね」
 起き上がる。
「じゃ、楽しかったよ。また明日ね」
 これが最後のまた明日。そんなことを思いながら、軽く手を振る。
「ああ、またな」
 ハルが寝っ転がりながら、いつもの笑顔で手を振り返してくれる。
 ……名残惜しいけれど、帰って荷物を纏めなくちゃ。

30.
「ハルカー、おはよー」
 少し遠くからハルが手を振ってきた。
「おはよう、ハルー」
 私も手を振り返す。急いで駆け寄ると、いつも通りのハルが立っていた。
「おー、荷物多いなー。持とうか?」
「大丈夫、ここに置いちゃうから」
 地面に置く。
「電車が来るまで……あと十分か」
「うん──そうだね」
 最後の十分だ。どんな顔で、何を話せばいいんだろう。
「楽しかったぜ、ありがとな、ハルカ」
 先にハルが口を開いた。
「うん、こちらこそ。ありがとね」
「うちのこと忘れんなよー」
「その会話、二回目」
「あれ、そうだったっけ」
 軽く笑うハルカに釣られて、私も小さく笑う。
「でもさ、まさかこんな所で同じ境遇の奴に会うとは思わなかったよ」
「境遇?──あぁ、私もそう思ってたよ」
 普段なら話に出されるだけで嫌な過去だけど、ハルのなら不思議と不快感はなかった。
 遠くから電車の音が聞こえてきた。そろそろ来るようだ。
「そろそろ、だね」
 荷物を手に取った瞬間、電車がホームに滑り込んできた。
「じゃあ……行くね」
「あぁ」
 扉が開く。
「ちゃんと、身体には気を付けるんだぞ」
「そっちこそ。風邪とか引かないようにね」
「大丈夫大丈夫、うちは馬鹿だから」
 電車に乗り込む。
「なんかあったらメールしてくれよ」
「うん……何にもなくてもするから」
 嫌だ、別れたくない。ずっとここに居たい。でも、そんな願い、叶う訳が無い。
「じゃあ、まあ今度、な」
「うん。また今度」
 ドアが閉まる。次第に速度を増して、私とハルの距離が離れていく。こちらに向けて手を振るハルに、私も精一杯手を振る。
 もう、後戻りはできないんだ。
 バイバイ、私の初恋の人。

-1.
 なんだか、頭が痛い。電車の音にやられたのだろうか。それとも、泣きつかれたからだろうか。
 誰もいない電車は都合が良かった。人の目を気にせずに泣くことが出来る。三か月、三か月待てばまた会える。そう思いたいのに、どうしても気持ちを切り替えることが出来ない。
「次はー、入尾ー、入尾ー」
 車内放送が響く。そろそろ乗り換えの駅だ。ジンジンと痛む頭を引き釣りながら、荷物を纏めて立ち上がる。
 電車を降りて、改札を抜ける。次の電車に乗るには、ここから違う駅まで五分ほど歩かなければならない。

***

 まだだ、まだ痛い。今まで頭なんて年に一度痛くなるかならないかくらいだったのに、この夏は異様に多い。今度病院に行った方がいいかもしれない。
 電車に揺られること三時間、やっと寮の最寄り駅に着きそうだ。寮についたら一度寝よう。そんなことを考えていると、車内放送が電車の到着を知らせてきた。荷物を纏めて電車を降りる。
 相変わらず、人が多い駅だ。頭痛が悪化しそうだ、さっさと出てしまおう。
「……あれ? こっちだっけ」
 なんだか、駅の構造が変わった気がする。いない間に改装でもしたのだろうか、それとも、判断力が鈍っている?
 なんとか目当ての改札を抜けて、寮へと向かって歩くが、どうも違和感が拭えない。
 さっさと寝よう。その一心で早足で歩く。あの角を曲がったら、寮の入り口が──
「……?」
 寮が、なかった。ただのアパートが建っているだけだ。
「あれ、道間違えたかな」
 あたりを見回してみるが、寮の場所以外はいつも通りのままだった。引っ越した? そんな馬鹿な、じゃあ改装でもしたのかな。
 そう思ってアパートの看板を見てみるが、明らかに寮とは思えない建物名が書いてある。
 頭が痛いのに、何も考えたくないのに。どうすればいいの、私。
 次第に痛みが増していく。立っているのもやっとだ。
「あぁ……!」
 どこかで、何かが切れる音が聞こえた。目の前が、真っ暗になった。

***

 目が覚めると、そこは電車の中だった。先程までのひどい頭痛は嘘のように無くなっていた。
「なんだ、夢か……」
 安心して顔を下すと、私の向かいの席に誰かが座っているのが見えた。
「おはようございます」
 目が合った途端、何故か話しかけてきた。
「お、おはよう、ございます」
 なんだか、私に似ている気がする。髪の色も、体系も、顔も、なにもかも似ていた。とはいえ、彼女が着ている服に見覚えはなかった。なんだか、病院に入院している人が着ていそうな服だ。こんな格好で出歩くなんて、ちょっと変わった人。
「どんな夢を見ていたんですか?」
 微笑みながら聞いてくる。
「え……? えっと、おばあちゃん家から寮に帰ろうとしたんだけど、なんか頭が痛くて、しかもあるはずの場所に寮が無くて──って夢」
 何を聞いてくるんだろう、この人。早く駅に着かないかなぁ。そんなことを考えていると、少女はその笑顔をくずさないで言った。
「もっと前の話ですよ」
 何を言っているんだろう、この人。
「ど、どういうことですか?」
「具体的には──そうですね、終業式の日でしょうか」
「ゆ、夢って、そんな長いこと見られるものじゃないと思うんですが──」
「あぁ、まだ気がついていないんですね」
 そういうと少女は、立ち上がって、ふらふらとこちらに歩いてきて、私の隣に座った。
「私の名前は上島ハルカっていうんです」
「え、でも──」
「そして、貴女の名前も上島ハルカ。そうでしょう?」
 ……これもまだ、夢の中なのだろうか。私の名前を名乗る、私にそっくりな少女が、私の手を握ってくる。
「そんなに信じられないのなら、貴女の事を当ててあげましょうか。上島ハルカ、十六歳。十年前に両親が死去。好きなことは絵を描くことで、好きな食べ物はフランスパン。嫌いなものは雷で、好きな人の名前は旭日ハ──」
「わかった、分かったから」
 慌てて少女の口を塞ぐ。どうやらここは夢の世界で、この少女は本当に私であるようだ。とは言え、私の口からと言えど好きな人の名前を聞くのは恥ずかしい。
「ここ、夢の世界なんでしょう?」
「夢──そうですね、確かにここは夢の世界です」
「なんだ」
 肩の力が抜ける。夢ならば、放置すれば目が覚めるだろう。
「……まだ、気がつかないんですか?」
 少女が不思議そうな顔でこちらを見てくる。
「気がつくって、何に」
 周囲の温度が少し下がった気がした。電車の外では雨が降り始めたようだ。
「本当の貴女は、今病院のベッドに居るんですよ」
「……は?」
「交通事故に会って、生と死の狭間を彷徨っているんですよ」
 意味の分からないことをほざく少女に、私は少しの苛立ちを覚えながら返す。
「何を言って……うっ」
 突如襲ってきた頭痛とともに引き起こされる、生々しいほどの全身への鈍痛。……あぁ、確かに私は車に引かれたんだ。
「思い出しましたか?」
「な、なんとなく……」
 まだ、まだだ。いつ、どこで引かれたかが思い出せない。
 電車の中に居るはずなのに、そとの風景が流れ込んでくる。
 寒い。雨が降っているようだ。私は地面に倒れこんで、聳え立つビル達の眺めている。一人の少女が私のことを見下ろしている。これは──
「ハル……」
 何かを叫んでいるようだが、全く聞こえない。そもそも、なんでハルがこんな都会に──
「そろそろ、思い出すんじゃないんですか」
 もう一人の私が冷たい声で言った。喉元にナイフを当てられるような寒気が走る。
「本当の貴女は、確かに寮で暮らす学生だった。好きな人の名前も旭日ハル。でも、旭日ハルは田舎で暮らす少女なんかじゃなかった」
「……やめて」
 痛い。頭も、身体も、心も、何もかも。
「同級生である旭日ハルを好きになった貴女は、同性への恋愛感情という決して口にしてはいけない想いに打ちひしがれながら日々を過ごしていた」
「……やめてよ」
 聞きたくない。聞きたくないのに、私の声でどんどん記憶が蘇ってくる。
「きっかけは分からない。でも、『上島ハルカは旭日ハルが好き』という噂が流れ始めた。その日から、あなたの生活は一変してしまった」
「やめてってば」
 寒い、寒いよ。
「同級生から馬鹿にされ、虐められ続ける毎日。それでも優しく接してくれるハルを心の支えになんとか生活していたものの、耐え切れなくなった私は──」
「やめてって言ってるじゃない!」
 叫ぶ。思わず立ち上がって叫ぶけれど、その叫びは私にしか届かない。
「トラックに飛び込んで自殺を図った」
 私の目の前で微笑むこの子は私なんかじゃない。悪魔だ、ただの悪魔だ。でも、本当のことを言っているのは私にも分かった。
 その場に座り込む。
「だって、しょうがないじゃない」
「何がですか?」
「ハルには、ハルには幸せになってほしかった。だって、大好きだったから……でも、その幸せに私は不要。だったら、邪魔者の私は死ぬしかないじゃない」
 涙が溢れて来る。もう一人の私がどこからかハンカチを取り出して、私の涙を拭った。
「それで、私とハルの二人だけの世界の夢を見ていた、と」
「そ、それは……」
「私にまで見栄を張らないでください。私は貴女なんですから、全部、分かってます」
「……」
「ハルのことが、好きなんでしょ?」
「……うん」
「本物のハルが、貴女の目が覚めるのを待ってるんだよ」
「……でも、でも、ハルの傍に居たって、私も、ハルも、全く幸せになれないのに」
「そんなことはないよ」
「……貴女が本当に私なら、分かってるんでしょ。私にできることは何もないって」
「違う。確かに、ハルは貴女との日々を楽しいと思ってるはず」
「……でも、でも」
 分からない、分からないよ。私はどうすればいいんだろう。
「次はー、入尾ー、入尾ー」
 車内放送が聞こえてくる。ここで降りて、電車を乗り換えれば、またハルに会える。
「昏睡状態から目覚めたら、身体に障害が残るかもしれない。今まで通りに過ごせないかもしれない。でも、貴女は、ちゃんと目覚めてハルに会いに行くべきだよ。たとえ恋人という形じゃなくても、貴女はハルを幸せにすることができるはずだよ」
「そんなわけ、ないじゃない……」
「あるんだよ」
 会いたい、会いたいよ。ハル。助けてよ。
「このままこの電車に乗ってれば、直ぐに目を覚ます。だから、一緒に座ってましょう」
「私は……」
 電車が到着したようだ。ドアが開く。
「でも、やっぱり私は、ハルの人生を邪魔したくないの。……ごめんね、私」
 電車から飛び降りる。後ろから何か声が聞こえた気がしたが、もう気にしない。私は、私は、私だけの世界で、ハルと二人きりで平和に暮らせたらそれでいいんだ。現実世界のハルの人生に、私という汚点なんていらない。
 改札を抜けて、がむしゃらに走り出す。駅までの道のりが、無限にも思える。
 ふと我に返って顔をあげると、赤信号が見えた。飛び出した私の身体は止めることが出来ない。右隣にトラックが見える。

***

音が身体を貫いた。どこからか、サイレンの音が聞こえてくる。
 地面が冷たい。冷たいのに、何処か熱い。変な感覚だ。
 沢山の人が私のことを見下ろしている。何かを叫んでいるが、先程の轟音で耳がやられてしまったのか、何も聞こえない。
 雨が降り始めた。体温が奪われていく。
 
0.
 ピッ。ピッ。ピッ。
 どこからか電子音が聞こえてくる。目の前は真っ暗で、何も見えない。
 ピッ。ピッ。ピッ。
 次第に視界が開けてくる。見慣れない天井だ。ここは病院……だろうか。
 ピッ。ピッ。ピッ。
 私のことを覗き込む瞳が見えた。真っすぐで、澄んでいるはずだった瞳。それを涙で歪めたのは──
「私……」
「ハルカ、ハルカ、聞こえるか! うちだよ、ハル!」
 口がうまく動かない。動かないけれど、なんとか貴女の名前を呼ぶ。大好きな、貴女の名前を。
「ハル……」
「ハルカ……!」
 ハルが抱き着いてくる。体がうまく動かないけれど、ハルの体温は伝わってくる。
「私、私ね……」
 長い夢を見ていたようだ。思い出せないけれど、怖かったような、暖かかったような、そんな夢。
「おうおう、どうしたんだハルカ。なんでも言ってくれ……」
 泣きじゃくるハルの頭に、点滴だらけの腕を乗せる。
 私は、貴女と一緒に生きたいよ。ハル。

 

後書き(文化祭用部誌掲載当時のもの、一部略)

(略)

 振り返ってみると、今まで描いてきた作品は長くても一万字程度しか無かったので、三万字近くあるこの小説は自分史上最長の小説になりました。高二にして初めて小説らしいものを書けたと思います。
 最初は「昏睡状態の少女の繰り返す夢の話、それも解釈が別れるオチの話を書こう」とだけ思っていたのに、いつの間にか交通遺児、受験、虐め、そして同性愛、と様々な要素が付け足されて、当初の目的とは大きくズレた作品になってしまいました。それでも「解釈の分かれるオチ」を創り出すことは出来たと思います。ハルカが目覚めたのは、ハルと田舎で過ごした世界か、ハルと同級生の世界か、それともまた別の世界か。楽しんで読んでいけたのなら嬉しいです。
 さて、これが文芸部員として最後の作品ということでしたが、今までの自分の部誌掲載作を読んでみると、中一の時は転校してきた小学生が虐めを解決する話、中二の時は死んだ飼い犬のことを回想する話、中三の時は盗賊に親を殺された少年とその盗賊の子供の話、高一の時は死んだ彼女の面影を求めて各地を度する青年の話、という風に毎年全然違う作品を書いていました。何だか学年が上がる事に話が暗くなっている気もしますが、なんだかんだで毎年去年より面白い作品を書けるようになっていたと思います。そう信じよう。

(略)

後書き(ブログ用)

 ちょっと流し読みしたけど恥ずかしいな……。なんかループしてほしい! いぇい! と思いながら書いた覚えがあります。なんなんだろ……。